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ひろしコンフォーコ

ツィンク奏者が物知り顔であれこれ語ろうとするものの、ちっとも上手くいかないブログ。

ファンタジーと現実。映画やアニメを観ていて思うこと。

僕は映画好きだった。今でも嫌いじゃないし、好きな作品もある。映画館にも積極的に行くようにしている。

でも、どうやらここ数年で見方が変わってきたらしい。

 

虚構の世界

ドキュメンタリーだろうがなんだろうが、そこには台本があり、それを演じる役者がいる。舞台も実際の物を使うこともあるけど、予算や演出の関係でセットを組むことも多い。そして、音楽がある。現実の僕らの世界には、そのシーンや街、登場人物の心情に合わせた音楽なんて流れてはくれない。

映画は、作り物なんだ。

 

虚構の世界に魅せられる

虚構だからこそ、人々は映画を観たいと思う。そこに、非現実や日常生活でのあらゆる感情を洗い流そうとしたり、哲学的な教訓を得ようとする。

ローマの休日を観て夢を見、ダイハードでエンターテイメント的な楽しみを得、戦場のメリークリスマスで戦争の悲惨さとそこに生きる人々の生き様から教訓を得る。

映画は、新しい形の文学として親しまれた。誰にでも読める文学として。

 

日常化した虚構

ハリウッドの不作と言われるようになって久しい。今までは虚構の世界が非日常なのが良かった。でも、今はそういう時代ではなくなった。よりリアルな人間の内面世界が求められるようになった。

それは、ある人にとっては真実であり、ある人にとってはそうじゃないかもしれない。

ただ、言えることは、今まで映画で描かれてきた世界は現代においてあまりにも現実味がなく、それが嘘臭く感じられるということ。

現実の生々しさとのギャップが大きすぎるのだ。

 

虚構の中の現実

実写映画には限界がある。いくら生々しい現実を描こうとしても、そこにはどこか超えられない一線があり、それを少しでも超えようものなら問題作とのレッテルを貼られる。

アニメならどうか。アニメには限界がないなんて事はないが、映画に比べたらかなり自由だ。実際のところ、実写映画レベルでは問題作と言われるだろう作品がアニメにはたくさんある。

アニメの方がずっと生々しいのだ。

アニメなんて、映画よりもずっと虚構なのに、あの二次元世界が生々しいなんて…?と思う人もいるだろう。確かに、アニメは映像や登場人物のリアルさという面では、映画にはどうやっても敵わない。でも、そこに描写される人間の内面世界には、現代に生きる僕らが目の当たりにしている現実がある。絵や音響、声優らの時には過激な表現が、僕らのリアルをえぐり出す。

虚構の世界の中に現実があるのだ。

 

完全な虚構も完全なリアルもない

僕はディズニー映画でさえ、全てが作り物の夢の世界だとは思っていない。ファンタジーの中に誰にでも通ずる物語がある。

全てがファンタジーのどこにも現実味のない物語に、誰が共感するだろう。

また、リアル過ぎる夢のない世界に、誰が惹かれるだろう。

この現実世界にも夢と現実が同居している。全てが現実ではないし、全てが夢でもない。おかしな表現だけど、夢も含めての現実世界に僕らは生きている。

だから、それをそのまま切り取っただけのような世界に、僕らは魅力を感じにくい。アニメは、生々し過ぎる現実を虚構の世界に創り出しているという点で、いま最も魅力的な映像作品だ。

虚構の中の現実や現実の中のファンタジーというのが、僕らが求めているものなんだ。