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ひろしコンフォーコ

ツィンク奏者が物知り顔であれこれ語ろうとするものの、ちっとも上手くいかないブログ。

音楽は芸術??芸術とは??音楽非芸術論。

ある音楽、楽曲が芸術的かどうかなんてのは考えるにも値しないことだと思うわけだけど、特にクラシック音楽ファンやそれに関わる人の中には、個別の曲に対して芸術的価値がどれだけあるか、もっと言えば、音楽は芸術であるべきという考え方の人も少なくない。
しかし、芸術的かどうかという判断をどこでしているのか、かなり感覚的であったり個人の趣味の範囲を超えなかったり、ということが多いように思う。

 

例えば、芸術的かどうかの基準がベートーヴェンであったりワーグナーにあるのだとしたら、それはとても残念なことだと思う。
というのも、その思考自体が音楽の価値や多様性というものを狭めてしまうからである。
色々な考えがあるだろうけど、最初に言った通り、僕は芸術的かどうかなんてことは考える必要なんかないと思う。


その上で、あえてそういった価値観で音楽を語るとすれば、吹奏楽にもゲーム音楽にもジャズにもロックにも芸術的な楽曲というのはたくさんあると思っている。
クラシック音楽=芸術音楽なんて考え方は古めかしいどころか、基準も曖昧で論理的思考の欠いた感情的なものでしかない。

そういった考えをする人にとっては吹奏楽やゲーム音楽にまで芸術的音楽が存在するなんて認めもしないだろうし、ハッキリ言ってしまえば、芸術とは何か考えてもいないのではないか。
僕は、そもそも芸術という言葉自体にバズワード的な面があると考えているからこそ、そういった価値観を採用しないわけだけど、いわゆる“芸術”という意味ではベートーヴェンにも勝るゲーム音楽なんてのも存在しているかもしれないと思う。

 

ただ、ここまで言ってきたことを見れば分かるように、この指摘は矛盾している。
結局のところバズワード的な“芸術”という言葉を使って音楽を語ることなど到底出来ないし、どこかに無理が生じるのである。

芸術というのが、何を意味し、その定義と基準を明確にしないことには、芸術という言葉に大した意味はない。

 

僕は音楽を芸術的かどうかなんて狭い見方をしたくない。

それは、ある種強烈な感情である。

音楽を芸術という枠に押し込めてしまいたくないという切望なのだ。

 

音楽には多種多様な価値があり、それを捉える人によっても意味が変わるものでもあり、そして、それをどう考えるのかは自由なのである。
そういった意味で、音楽は~である、音楽は~であるべき、といった考えや表現は好まないし、大した価値のないものだと思っている。

 

そう考えてみると、音楽は芸術であるべき、といった価値観が如何につまらないもので、現実に合わないものであるのか分かって頂けるのではないだろうか。

 

これも一つの価値観でしかないし、他にも様々な価値観があるのは当然だが、音楽というものを一つの価値観に押し込めたり、決めつけたりせずにいたいものである。